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『この夏の星を見る』

作家の辻村深月さん。コロナ下の中高生を描いた青春小説が発表されたと知って、読みたいなと思っています。

『この夏の星を見る』というタイトルで、日本各地の高校生を描こうと、茨城、渋谷、五島にある高校の天文部が登場するそうです。

辻村さんが描きたかったことは、「コロナ禍で、とりわけ子ども達の時間が失われたとか、奪われたと言われた。その見方に疑問を感じた」と。
この考えに、とても共感しました。

失われた、奪われた…それはあくまでも大人の考えなんですよね。大人はコロナの前だったり、自分たちの頃と比べるから、そう思う。でも子ども達は常に目の前にあるもの、今ここにある現実をまっすぐに感じられているのです。
その瑞々しい感性を邪魔するのは、大人の考えや視点、もっというと事情や都合だと思うのです。

この夏、中学総体と言われる大会が、息子の通う中学も、どの部活でも行われました。その時に、「所属する部活の生徒以外は、試合を応援に行かないように」との連絡が、学校を通じてあったのです。なんだ、それ?…とても違和感があり、納得がいきませんでした。

なぜ、応援に行ってはいけないのか。その理由を「熱中症などで具合が悪くなった場合に、会場校や引率の先生方に迷惑がかかるから」と、理由になっていない説明がありましたが、熱中症なんて、いつどこに行ったって起こる可能性はあるのに。それに気を付けるように自覚を促す通達ならわかるのですが、行くなというのは、いかにも大人に都合よくあるための通達としか、私は受け取れませんでした。

友情や恋愛感情という、今の瑞々しい気持ちを大切にしてほしいのに、それを阻止するのは、大人じゃないかって。

「コロナさえなかったら」という現実、そう思う気持ちは、もちろんあります。だけど、コロナも、それ以外のことも、何が起こっても。それありきで進むしかない。それを意味のあるものに代えていくんだよ、って。
自分にも言い聞かせています。

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