「いきなり遺体が運ばれてきたら、どうしますか?」
東日本大震災時に避難所となった小学校の校長先生の話です。
多くの避難者が押し寄せた中に、遺体を運んできた人がいた。
学校に入れるのか、入れないのか。校門でもめる騒ぎとなったそうです。
子どもには見せたくない。しかし一方で、肉親の遺体を放置したまま、自分だけ逃げられない心情の人々が多くいたと。誰もが不安、悲しみ、恐れを抱き、動転している状況で迅速な対応を迫られる・・・。結果として、校舎外の変電室を遺体安置所にすることを、その場で決めたのだそうです。
また同じ年の夏、ある中学の校長先生は、津波で生徒を含む大勢の死者が出た後、部活動の再開に賛否が分かれるなか、目の前にいる生徒のことを考え、再開を決断したそうです。目の前にいたその子も、津波で父親と妹を亡くしていました。
「もし部活動が始まらなければ、家に閉じこもるしかないだろうから」と。
そして、この春。
新型コロナウィルスの問題により、多くの学校で、卒業生と教職員だけで卒業式が行われました。そんな卒業式を初めて経験される校長先生がほとんどだったのではないでしょうか。
きっと、準備もそこそこに、一つひとつのことを考え、そして決断し、また悩み、決断し・・・その連続で、本当に大変なことだと思います。
今、先の読めない状況で、この瞬間、瞬間に「決める」ことを迫られている人が、たくさんおられると思います。決めるって、大変なことです。
決めたからには、もう一方を捨てるわけで。しかも万人に受け入れられる結論なんてまずない。決めたことに賛否のどちらもあって、当然なのです。
たくさんの学校で今、桜が見ごろを迎えていることでしょう。
学校って、子ども達あっての場所なのではないでしょうか。
大勢の子ども達が笑い合いながら過ごす。
そんな当たり前の風景がなくなってから、数週間。
今、ある意味いちばん我慢を強いられているこども達。
のびのびと遊べる日が一日も早く、戻りますように。