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まなざしの記憶

マスク生活もこう肌寒くなると楽ですね。
今朝はマスクのおかげで温かく、ありがたく感じられるほどでした。でも最近思うのは、マスクをしていると、聞き取りづらいですよね~。話す人だけでも外してほしい!と思ってしまいます。話をする時って、耳で聞き取りつつ、目で口もとを見て、理解しているんだなぁと感じます。

口元が隠れると、けっこうどんな顔なのかわからなくなるもの。口元ってその顔の大事な部分なのですね。
この人どんな顔だったっけ…と自分も思われているのかな??

以前は自分の顔を自分で見る機会というのは、朝の身支度ぐらい。それが今の時代は、不意に携帯の画面に映る自分にドキッとしたり。リモートで仕事なんていうものが主流になりつつあると、画面に映る自分!目の当たりにしてギョッとしたり!
つい先日もリモート仕事で自分の顔を見て、「こんなに口が大きいんだ~」と、びっくりでしたところです(笑)。

「顔を向き合わせることは、心をさらし合うことでもある」と。鷲田清一さんが『まなざしの記憶』という本のなかで、書いておられます。
そんな潔い付き合いを自然にしていた時代から、この数か月で激変ですね。

鷲田さん曰く、自分の顔とは「自分のまなざす他人の顔、その変化を見ることで想像するものでしかない」…そんなものだったのに。

それでは顔の代わりに、その人を表すものとは何でしょう。
私は最近、それが言葉であり、その表現かなと思います。

先日ある方が、「○○さんと話してみて、気持ちが通じ合えた」と言うような場面で「○○さんと一緒と思えて…そう、重なりました」とおっしゃったのを聞いて。自然と紡がれるその言葉に、お人柄を感じました。

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