夏の全国高校野球、甲子園大会が中止になりました。 「苦渋の決断」と会見する側もとても残念そうで、見ていてつらかったです。
もっとつらかったのは、その会見の様子を知った瞬間の高校球児の様子。長崎の名門校が取り上げられていました。監督の言葉を聞きながら、ポロポロと涙する高校生たち。その後、泣き崩れる様子がうつっていました。…もう、もらい泣きでした。
実は私、中学時代にソフトボール部だったので、当時は高校野球にドはまりしていました。毎年お目当ての選手を見つけて、テレビを見て、キャーキャー言っていました(笑)。女子校だったので、もし共学で野球部があって、マネージャーやりたかったなぁ…なんて妄想したり。ファンレターを書いたりもしたなぁ(笑)。
ですので、今では憧れるというよりは、息子を見るような気持ちで応援するのですが、その甲子園が中止か…と。本当に残念です。
会見後、街の声もとても熱いものでした。「そら残念や~かわいそうになぁ」「子供に罪はないんやから…時期をずらすにしても、何とかするのが大人の役目では?」などなど。
取材される声も、プロ野球選手から、かつての名監督まで、様々。皆さん「そこまでの努力」を知っておられるゆえに、「最後の舞台を奪われるなんて言葉にならない」と。 本当にそうだと思います。
でも、そんな中で印象に残ったのが。 かつては自分も甲子園球児だったという一人の男性の言葉でした。
30代、今は設計事務所を立ち上げ、代表をしていると。幼い頃から野球に打ち込み、甲子園まで出場できたが、その後、大学時代に肩を壊し、野球生命が絶たれてしまった。そこから猛勉強して今の仕事に就いた、と。
その男性はコロナの影響が出始めた時に、母校の野球部にマスク5000枚を寄付したそうです。練習に支障が出ることを少しでも食い止めたいと。それなのにこのような結果になり、取材を受けた上でのコメントでした。
「球児たちは、甲子園を目指して、小さいころからそれだけを考えて、すべてを我慢して練習するんです。本当に。
だから、その甲子園が中止になるなんて、ものすごくつらいことだと思います。
ただ、野球をあきらめた自分だけれど、野球を通して感じたことって、その後の人生にものすごく生きている。でもそれがわかるようになったのはごく最近のことです。 今はつらすぎて、何も考えられないだろうけど、いつかきっと、わかる日が来ます。努力したことは何一つ、無駄にはならなかったってことを」。
すごいなぁ~と思いました。 今を一緒に悲しむ、残念がる声ばかりの中、未来の希望を指し示す言葉。 自らの体験談だけに、重みを感じました。
自分事のように残念だった気持ちが、すっと癒されるのを感じました。