放課後の子どもの居場所。そこを担う施設長さんのコラムを読んで、考えさせられたこと。
低年齢期の支援に重要なことのひとつが「豊かな言葉の獲得」であると書かれていました。
身近な例だと私の息子も、言葉を話せるようになる直前(2歳前後)、すぐに手が出るし、気性が荒かったことを思い出しました。言葉にできないもどかしさ、それは人間が本来、感じるところだと思うのです。
働くお母さんが増えて、子供が小さければ小さいほど、その日常は本当に大変です。私も少なからず理解できます。とにかく余裕がないし、その日を終えることで精いっぱい。そこへきてコロナ禍の今、余裕のなさが、しわ寄せとなって、子供に向けられることは少なくないでしょう。
「人は言葉で、悲しみや喜びを伝えることで癒される」。
本当にそうだと思います。そしてその力の差が、家庭環境によって様々なのではないでしょうか。
言葉が多ければいいという単純な話ではなく、温もりある言葉をもらえて、自分自身も気持ちを言葉にする術を持っていること。
小学生ともなれば、家族と過ごす時間はどんどん短くなっていきます。
限られた時間の中で、気持ちを言葉にして、受け止め合うことができたら。勉強ができるできないではなく、生きる術として、自分を受け入れる術として、もちろん大人もですね。