ノンフィクション作家の佐々涼子さん。「幸福への意思」と題されたコラムに、お父様のことがつづられていました。
「母が火葬場の煙になって空に帰っていった時、喪服の父はとても小さく見えた。」…書き出しから心をつかまれるような文章。
神経性の難病に侵されたお母様のことを、在宅で、完全介護されたお父様。お母様の亡き後、あまりに憔悴しきった様子に、どうなってしまうことかと皆が心配したけれども、その後、いきいきと生きる様子がつづられていました。
ここで私の父のことを、詳しく書くことはしませんが、生き様を見せてくれていることを尊敬する気持ちは、佐々さんと同じだなと思って読みました。
「私は、父の娘でよかったと思うことがある」
と書かれた、この表現にも共感しました。「…思うことがある」という表現が絶妙で、「父の娘で良かったです」とか「良かったと思っています」とか、四六時中そう思う、という書き方でないところが、私も同じなのです。(伝わりますか?)
そしてもうひとつ、佐々さんの表現にハッと考えさせられたこと。
それは、「誰かをかわいそうな人と決めつけて、そう書かないと決めている。それはとても表層的な見方だから」と。
かわいそうとか、幸せそうとか。佐々さんはプロとして文章を書く上で、広く一般に対して書いておられるわけですが、私は父に対して、思うのです。
父を思って、かわいそうとか、幸せそうとか、それは私には決められない。思うこと、色々とあるのです。でも、心の奥底は、本人にしかわからないので。もっと言うと、心の持ちようで、本人に思い直してもらう以外にない、と。
中途半端な書き方ですが、まとまりませんが…父に、幸せを感じてもらいたいのです。