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昭和の遺物

 受験に関するコラムを読みました。

中学入試の当日…塾の先生達が学校の前に並んで受験生を激励する様子が、ニュースなどでも取り上げられます。

それがこの春の首都圏においては、コロナを理由にすべての塾が応援を自粛したのだと。その結果、どの学校でも穏やかに入試が行われた、という話が記事になっていました。

 実はこの光景、さぞ感動あふれる様子と思いきや、実態は車道に立つ先生がいたり、大声を張り上げたり、校門前を陣取られた結果、受験生が学校に入るまでに渋滞を引き起こしたり…と、ほとんどの学校が近隣にお詫びをするそうです。

なので、そのコラムの主張は「昨今の受験熱の高まりを背景に、明らかに度が過ぎていた。このような昭和の遺物は、もはや廃止すべきではないか」というものでした。

 もちろん納得なのです。でも、実はその風習に救われた身であるので、複雑な思いです。

娘が第二志望だった学校を受けに行った朝のこと。一番お世話になった先生(大ベテランの国語教師Y先生)が、門のところにいて下さったのです。

その学校は、共学人気の当時、同じ塾から受ける生徒はさほど多くなかったので、わざわざ娘のために来てくれた?!と言っても過言ではなく…なので、「え?うっそ~」という感じでした。

娘をさておき、私は先生の姿が見えただけで涙ぐみ、「お母さん!ほらほら化粧が落ちるよ!」なーんて笑われたのでした(笑)。

 あとでお話をきいたら、「あえて受ける子が少ない学校ほど出向くようにしている」と。   同じ塾から多くの子が受験する学校は行った先で知り合いに会える可能性が高いから。   「一人で頑張る子をめがけて、応援に行くようにしているんですよ」とのことでした。  

 緊張でこわばっていた娘の顔が、ふわ~っと明るくなったのです。そして、なんとその学校にだけ!受かったのでした。

 人の思いが力になる、応援してもらえることの幸せ…それがはっきりと身に染みた出来事でした。

 今、思い出してもあの時、「え~?なんで?なんで?」と言いながらかけよった瞬間。   その時を思い出せます。

受験してよかったのか、この学校に進学してよかったのか…そういうことは、ずっと先になってみないとわからないと思うのです。        でもその途中に経験した「いろいろな思い」には、はっきりと価値があると思います。

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