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いちご離れ

 俳人「黛まどか」さんのコラムで、「いちご離れ」という言葉を知りました。

 桜樺細工で有名な岩手の集落では、7月初旬、桜の木の皮を採りに行くと、熊の親子に会うことがあると。それは母熊が子熊に、この頃に実る野イチゴを食べさせに来るから。子熊が一心不乱に野イチゴを食べている間に、母熊はそっと離れ、永遠の別れをする、というのです。
「これからは、自分の力で生きていきなさい」と、甘い野イチゴが、母子を断ち切り、自立を促すための、母からの最後のギフトなのだそうです。

 厳しい自然界の営みに、人の世にも通ずる親子の情愛を感じ、村人たちはこれを「いちご離れ」と呼ぶようになった…。
「いちご離れ」という言葉には、熊の親子を見守る人々の、自然への敬意が込められているのですね。 

 『言葉は風土に生まれ、先人たちの悲喜こもごもを抱えて、長い歳月を経て残った「一雫(ひとしずく)」だ。
それらを次の世代に伝えて行く義務が、私達にある。』
 そう書かれた俳人黛さんの思いに、力強いものを感じました。

 もちろん私も含め、人間の親たちは、なんと過保護なのでしょう。

 先日、久しぶりにZoomで話した方。かつて娘がお世話になったのですが、今では1歳半の女の子のママさんになっていました。

「目が届きすぎてしまうから、手を出し過ぎないようにしなくちゃと思って。いずれパートタイムで仕事をするなどして、離れなくてはと思っているんです」というのが印象的でした。

 午前中の眠りの間におしゃべりしたのです。画面を通して話せるっていいですね!つい夢中になって長話をしていたら、チビちゃんが起きてきました。ママの胸元にすっぽりおさまって満足そうな表情に、癒されました。

 母熊のようにはなれそうにないけれど、子供それぞれ個人の人生なのだということを、改めて自分に言い聞かせています。

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