漫画家・文筆家であるヤマザキマリさんの本を読みました。
『たちどまって考える』 コロナになって、思いがけずできた時間を使って、あえて色んなことを考えてみた結果のエッセイ集です。
ヤマザキさんはイタリア人と結婚、当然ながらイタリアにも家族がいるので、コロナひとつとっても、イタリア人との感覚の違いを論じているところがとても興味深かったです。
ヤマザキさんと言うと、以前から良い意味で「とんがった人」という印象でした。考えていること、主張することの中に「自分」がしっかりとあって、かっこいいなぁと。その理由が少し、わかった気がしました。
例えば、ヤマザキさんが「人生に関して想定していること」とは。
『人生とは思い通りにならないもの、どんなことでも起こり得るもの』
ヤマザキさんとしては「母親世代の考えを受け継ぎ」「それを基本軸として人生をサバイブしてきた」と。
それに引き換え、現代の日本は「不条理」をはじめ「失敗」も「屈辱」も生きていくうえで必要のないもの、知らない方がいいもの、という社会環境になっていると。
本当にそうですよね。想定がそうだから、苦しくなる。私も大いに思い当たります。
でも、少しずつだけれど、失敗することから学び、理不尽な思いからつかみ、しんどさの中に成長を見出せている「今」があります。
つい先日も、自分の中で苦しいなぁという思いと葛藤していて、手帳にぐちゃぐちゃと書きなぐり、数日が過ぎてようやく自分なりの答えを見出せた時。別のことも腑に落ちて、「よし今、上がれた」という実感を持ちました。
楽しい、嬉しい、平穏だけの毎日では、感じられないことがあります。それを逃さないためにも、想定が大事ですね。