文化人類学者、上田紀行さんのエッセイより。
講演で、特に若い人に対して「他人の目なんか気にせず、自分のやりたいことをやろう!」と呼びかけたところ、講演後に一人の若者が寄ってきて言った。
「他人の目を気にするな、なんて初めて聞きました」と。
彼の手にはスマホがにぎられており、 「中学生になってこれを持つようになったら、学校から帰ったあとも同級生たちが噂ばなしをしている。 それを見ると自分も何を言われているか怖くなり、以来ずっと、空気を読んで生きてきた気がします」と。
上田さんも書いておられましたが、私も同感なのが、友達と「じゃあね」と別れたら、そこで切れたのが私たちの時代。でも今は、スマホを通して常にそこがつながっている。
便利なこともある一方で、気持ちが休まることがないだろうな、と思います。24時間、つながっているなんて…。
上田さんは、話に来た彼とその世代の人達を思って「心が痛くなった」と。確かに、わかるなぁと思いました。
でもそのこと以上に私が「あ、いいな」と感じたのは、その後のやりとりでした。
「君さ、講演者に声をかけるというのは思いきっているよ。これまでの自分から、一歩踏み出していると思わない?もう今日から世界が変わっていくよ」と。 上田さんはそう語りかけるのです。
「そう言うと、彼はちょっとシャイに微笑んだ」。
それを読んで、ぐっときました。
こんなふうに、相手が喜ぶ「ツボ」をおさえて、相手のいいところを伝えられるって素晴らしいですよね。その「ツボ」がずれてしまうと、ちっとも伝わらないどころか、表面的に気を遣われた、心にもないお世辞を言われたと思われかねない。
こういうところにも、人を思いやる心が必要なんだなと感じました。
相手に響く言葉を伝えられるように、私もなりたいです。