コロナウィルスの影響で、外出を控えることが多くなっていますよね。
仕事でも出張やイベントがキャンセルになり、人と会う機会、人が集まる機会となると、まず開催を躊躇し、そして中止の判断が多くなっています。
止むを得ないと考えながらも、動きが停滞してしまうことに、少し焦ってしまいます。
こんな時だからこそ、できること。そのひとつ、電話。
個人的に電話は苦手で、あまり好きではないのです。
相手にとって、いつが話せるタイミングなのか、考え出すとかけられなくなってしまうので。でもこんな時だから、在宅の人が多いはず。そう思って、かけてみました。
予想通り、話せるタイミング。そして、思った以上に喜ばれる、話が弾む・・・これはやはり、家から出ずにどことなく閉鎖的になっているせい?
仕事の話から、いい意味での脱線。時間のゆとりもあるし、相手の言葉の流れを止めずに、ゆったりと聞ける。これはコロナウィルスがもたらした不幸中の幸い?!
そして終わってみると、とても喜ばれて、こちらまでほっこりと、いい気持ちなのでした。
実は電話というと、思い出します。
母方の祖母のこと。遠方に暮らす祖母は時折、電話をくれました。でもその時は、たいして気持ちも込めず、ただただ用件を聞き、ちょっぴりの優しい言葉を言って、さっさと切っていました。
ある日突然、心筋梗塞で亡くなるなんてことが起こるとは知らずに。
今になって思い起こせば、亡くなる数ヶ月前の電話で、たびたび弱気な発言があったのです。
「朝、起きてもねぇ、たいした用事もないし。あ~、もう起きんとこうかな。起きてもしょがないなぁって思うんよ・・・」と。
それでも、流していました。「そんなこと言ってもさ、まぁ元気なんだからいいじゃない?」とか。適当なことを言って。
でもその後、何の前触れもなく死んでしまうと知っていたら。
もっと優しいことを言うとか、してもらったことの感謝を伝えるとか、すればよかったと。
悔やまれてなりません。
そんな祖母が教えてくれたこと。電話を切るときのマナー。
「相手の人が電話を切ってから、こちらはそうっと受話器を置く」こと。
これは今も守っています。携帯だと少し勝手が違うけれど。
せわしなく切られてしまうと、悲しく感じます。
そんな時、相手を責めるよりも、祖母の優しい声を思い出します。
(どちらかと言うと、ちゃきちゃきと、強気な元気な祖母でしたけれど。笑。)