昨日のブログの続きです。
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』という本を通して、幡野広志さんという写真家の方が提示されていること。
その2つ目は、「安楽死」です。
「ぼくが最後に選ぶもの」として、幡野さんは安楽死の選択について、とても強い信念を持って書いておられます。
これも、私は自分がいかに健康で、その恵まれた世界しか知らないということを、思い知りました。
幡野さんの体験した、痛み、苦しみ。あまりにつらくて、自殺を考えるほど。 それほどまでの苦しみって、いったい…私には想像もつきません。その壮絶さ。
さらに、ガンが進行していったこの先にもまた、必ず感じるであろう、痛みと苦しみ。
のたうち回る様、見るも無惨な姿に変わり果てる現実を、家族(奥さんと息子さん)に見せたくない。 その姿は絶対に、家族にとってトラウマになってしまうから。
安楽死は周囲のエゴだとか、本人の身勝手だとか、何より命を軽んじているとか…そういう考えひとつ、簡単に文字で残せることではないと思います。
私は今回、幡野さんの思いを知って、安楽死に対して考える機会を得ました。
安楽死は何よりも自分自身が、「これ以上生きていたくないから」ではなく「この状態で最後を迎えたいから」する選択なのだと。
命を軽んじてするのではなくて、むしろその逆で、尊い命に感謝できるまま終わること。それはとても重要な、尊い決断だと知りました。