この方の書くものは、どうしてこんなに後味がいいのか…阿川佐和子さんの書かれるものについて、いつもそう思います。
決して善人なことばかり書かれているわけではないのに。心根が、すっとまっすぐなのかなぁと思ったりします。
タイトルからいいなと思ったエッセイ集でした。
『老人初心者の覚悟』
その中で、さらっと読んだのにドキッとしたこと。
「言葉は 発する側より受け止める側のほうが いつも繊細である」
そうそう!と思いませんか。
私は以前、「本当に必要な言葉は2割」と教わったのですが、これがあてはまるなと思いました。そうしないと、きっと自分もどこかで知らないうちにあいてを傷つけている。そして、2割の心づもりで会話をすれば、傷つけずにすむかもしれない。
さらに、正直なところを告白しますと、この納得は義母の存在を思ってのこと。
うーん、嫁と姑って、どうしてこうなんでしょう。
私の場合、決して関係は悪くないのです。
でも、義母の言葉は変に刺さるし、刺さってから忘れるということが難しい。
どうしてなんだろう…。
相手に「悪気はない」ことはわかっている。
お腹の中にためないで、言ってくれているだけとも。
でもね、悪気がないって、けっこう罪だと私は思います。何気なく言われるその言葉、刺さりますね~。どうしてかな。
他のことなら寝れば「まぁいいか」となる私でも、言われたモヤモヤは別なのです。
中々頭から離れないそういう時は、
①頭をぶんぶん振って、忘れろ!忘れろ!と言い聞かせる。端から見たらそれはロック好きの人に見えるに違いない…ぐらい、激しく。
②トイレで「ぶわぁっかきゃろ~う」と、口を思い切り大きくあけて、但し声は発さずに言う。それを3回繰りかえす。
③なるべく大きな紙に「ふざけんじゃねぇ」とか「余計なお世話だ」とか書きまくる。
そしてぐしゃぐしゃに丸めて捨てる。
という対処をしています(笑)。
③の紙に書くときは、QRコードを思わせるほど「ぐちゃぐちゃ」に書きます。万が一、見つかってしまったら大変!という心理なのだろうと自分で思っています。
はぁ…阿川さんの爽やかな文章には、程遠いなぁ。