以前、『かがみの孤城』という書籍に触れた、その作者の辻村深月さん。
いまだに、小説が終わりに近づいて、登場人物に秘められていた事実が明らかになることで、あれほどの思いにかられた小説はありません。
言葉にするのは難しいのですが、美しすぎる夕焼けに魅せられたときの感覚に、近いかもしれません。
ぜひ、読んでいただきたい一冊。
そんな辻村さんのコラムから。
この秋、都内のある高校の学園祭で、辻村さんの著作が上演されることになり、その舞台を観にいかれたとか。そこに再現されていたのは、辻村さんが描いた「中学生の世界そのもの」であり、その真剣さ、小道具など細部にまでこだわってひたむきに創られた世界に感激し、涙が出たそうです。
上演後に主演の女の子と話すなかで、辻村さんは、その彼女が小学5年生のときに辻村さんの小説を読み、ものすごく共感したこと。いつか、この世界を現実に表現することを決めていたことを知ります。
小学生から高校生までの濃密な時間。「自分にとってはつい最近、書いたように思える小説が、彼女の中に占める大きな時間に寄り添っていたのだと思うと、不思議な感慨に襲われた」と。
辻村さんは、自分の高校時代に思いを寄せます。
本が好きで、いつか作家になりたいという気持ちに、押しつぶされそうだったあの頃。
そこから今日までの時間には、つらいこと、嬉しいこと、いろんなことがあり、悩み、迷ってきたはずなのに、今振り返るとまばたきをするように一瞬だった、と。
辻村さんは書いておられます。
『未来をまだわからないと答えるまっすぐな瞳と、
そこから今日までの私の一瞬に思えた両方が、人生には矛盾なく存在する。
どうか、後悔がないように。
あなたたちの先に広がる道や時間は、等しく尊いのだから。』
胸がいっぱいに、なりました。
お恥ずかしいことですが、私もなりたかったのです、小説家に。
でもその夢を現実にしていこうとする情熱が、どんどん消えていきました。
今では、小説を書くなんて、恐ろしいことだと思ってしまいます。
そんなふうに自分をさらけ出す強さも、また自分から出せるものも、私にはないからです。それを思ったのがひとつ。
そしてもうひとつ。私にとっても、高校時代というのは特別でした。
人生において、華やかで明るい時だったなと思います。
思い返すと、切なくもなります。
そこから、今。ずいぶんと年数が経ったものです。長かった。でも改めて納得したのです。その「まばたきをするように」今に至ったという感覚。
この先どこまで生きるのか、わかりませんが。
高校生でなくとも、辻村さんの示す「先に広がる道や時間は、等しく尊い」と信じたいと思います。
素敵なコラムでした。