先日、会社の研修で三島に行ってきました。
私の会社の研修では、どのテーマの場合も、自ずと自分を見ることになります。
これは、いわゆる「自己啓発」とはまったく別のもので、自分の中に深く深く入っていく感じなのです。
今回、私が自分に感じたことは、以前とは見る視点がまったく、変わってきたということです。
以前の私は、自分のことは見ておらず、人のこと。それも人の表面ばかりを見ていました。
持っている「もの」、「肩書」、「ステイタス」。
それらが高級であるか、たくさんあるか、世間にどれだけ認知されているか、など。
私が重要視するのはそんなことばかりでした。どれもない自分の人生、一体どこで間違えたのかと、過去を悔やむ。
あとは、よく見ていた物!具体的にあげるならば、バッグ(鞄)なんです。
今ではひたすら笑えますが、毎朝見かける人が、昨日と別のバッグを持っていたりすると、目が釘付けになっていました(笑)。
洋服こそ私だって昨日とは違うけど、バッグをいくつも持つ余裕は私にはなかったので。
そういう時、「うらやましい・・・」と、じとぉ~ッと・・・その相手とバッグに見入って、羨ましくねたましく思いつつ、くすぶっていました。
人からどう見られるか、そこがいつも気になっていました。
そこに重きを置いてしまうと、疲れるんですよね・・・私は今思うとそのせいで、本当にいつも疲れ切っていて…。やたらと甘いものが欲しくて、朝から菓子パンを食べていたり。けれど何を食べても身にならず、変に痩せていました。
今から10年ほど前でしょうか。
その頃に読んだ文章で、ドキッ!!とさせられたことがあります。
「羨み顔(うらみがお)」というタイトルで、最初に書かれた言葉が ~心の病気~ 。
昔は、見えているものを「面(おも)」、隠れているものを「うら」と呼びました。
顔は見えているから「面」、心は隠れているから「うら」です。
「うら悲しい」、「うら寂しい」の「うら」も「心」を指しており、「恨む」もよくない心持ちを表しているのです。
そして、『羨む(うらやむ)』とは→『心病む(うらやむ)』。
心を病んだ状態のことなのです。
これを読んで、ガツーンとものすごい衝撃でした。
人が羨ましく見えるのは、心が弱っているから。それは、心を病んでいる状態なんだ、と。
羨ましい・・・そう思っている時の自分の顔、想像できますか?
それを想像して、美しさのかけらもない、おぞましい表情な気がして、なんとかしたいと思ったのでした。
そんな、病気の心を吹き飛ばすくらい、笑いたい・・・そう思ったことをおぼえています。
でもそういう強烈な思いって、いいなと。強烈に嫌と思うと、人は変わろうとするから。
怖いのは、もったいないのは、本当の自分を見ないことではないでしょうか。
いくつになっても、人は変われます。
今年はどんな変化があるかなぁ…ダメだったぶん、伸びしろがいっぱい(笑)。自分の可能性を信じて楽しみたいです。