なんてかっこいい言葉だろうと思いました。大平貴之さん、49歳。
プラネタリウム・クリエーター。
『人間は、可能は証明できるが、不可能は証明できない』
なるほど・・・こういう気持ちの人が、新しいものづくりに打ち込める人か、と。そう思いました。
小学生のころから、なんとプラネタリウムを自作。
98年に世界で初めて100万個以上の星を映せる「MEGASTAR(メガスター)」を発表。
「アマチュアだから挑めた」と。
当時、専門メーカー製の装置でも映せる星は多くて3万個ほど。それを独力で超えた破天荒さが各国のプロを驚かせたのでした。
そこから2年後のロンドン大会で10万個、いや100万個の壁を超えるんだ!と。さらなる高みを目指して挑戦。
そして生まれた「MEGASTAR(メガスター)」は、150万個もの星を投影でき、プラネタリウムの歴史を塗り替えたのだそうです。
小学生のころは図工や化学実験が大好き。本物志向が徹底していたとか。
劇薬の硫酸が必要で、父親名義で買ってもらったことも。
「部屋は散らかす、危険な薬品は欲しがる。将来大成するかもという思いはあっても、親はどこまでやらせていいか悩んだと思います(笑)。」
ある日、手元にあった夜光塗料を紙に塗り、切り抜いて星を7つ作ってみたことがすべての始まり。部屋の壁にオリオン座の形に貼り、明かりを消すと輝く星座が浮かび上がった・・・。 どんなにわくわく、夢中になったことでしょう。
自分にとってそんな感覚、どうだったかなぁ。 私の場合は、初めてリリアンをやったとき。これは何??って、ドキドキわくわくしました…。
それから、お話を作って寸劇をするのに夢中になり、親戚の集まりの時などは、年の近い従兄弟たちを従えて、大人たちにそれを披露して…。
楽しかったなぁ。話のオチはもちろん、衣装も小道具もその場にあるものでパパッと準備して、お酒をのみながら話している大人たちに見せていました。
ゲームなんてなかったので、そうやって工夫して遊んでいましたね。
夢中になれる種を見つけるには、すごくいい時代だった気がします。
冒頭の大平さんの言葉。
あきらめてしまうその限界を決めるのは、自分なんだなぁと改めて思いました。
大平さんは、「これだけ星があるのに、生命が見つかっていないのがもどかしい」のだそうです。
この気持ちが探求心につながるのだと、感じました。