母親の罪悪感を指す「マミーギルト」という言葉。
私は初めて知りました。
米国では以前から一般的に広く知られる概念だそうです。
日本ではコロナ禍で在宅勤務の普及、そして保育園や学校の休園・休校を背景に、この言葉が広がってきた、とのこと。
具体的には「子供に動画ばかり見せてしまう」「話しかけられても後回しにせざるを得ない」「塾弁を作れない」など。
そりゃぁそうだ!と、その渦中を離れた身である今は、そう思います。
でももう少し子供が小さかったら、間違いなく私も同じような気持ち=罪悪感を抱いたと思います。
でも、そもそも保育園や学童を活用して、仕事に集中できる環境を整えていたところに、そこに制限が生じたのが今なのだから、しわ寄せが生じるのは当然ですよね。
そうすると、社会の仕組みとして…とか、男性にもっと育児参加を…となる。たとえほんの少しずつであったとしても、世の中が変わることは必要だと思いますが、急には変わらない。
ほんっとに思うのですが、相手に求めても、始まらないのですね~。
以前、読んだ小説で印象的だった夫婦のやりとり。
夫が言うのです。
「もっとちゃんとやって!協力して!」と言われるけど、じゃあ具体的にどうすればいいのか、何をすれば助かるのか、がわからないんだよ。
「ゴミを出して」とか「子供を風呂に入れて」とか、やってほしいことを直接、言ってもらえないかな。
…って。
これ、男性側の気持ちを見事に言い表しているなぁと、その時、思ったのでした。そしてこちら側からすると正直、「言われなくても察して動いてよ」と思うのですけどね(笑)。お願いしたら、ありがとうって言わなくちゃいけない?それ期待してないか?と…そこがまた正直、わずらわしいのです(笑)。
さておき、相手に求めても始まらない、であれば自分の心の持ちようを変えることがまず近道。その記事では「1日に15分でいいから、自分の時間を作る」ことをすすめていました。
『良い娘、良い妻、良い母…誰かから見た立場だけで、人生が終わる時代はもう終わった。自分が幸せになれる方法を主体的に考えるべきだ』
自由に生きられるようになっている今、自分を幸せにする「義務」(あえて強い言葉ですが)も、同時に果たすことが大切なのですね。
1日に15分、なんでも好きなことに使う時間。15分よりもっとあるなぁと思った私は幸せ者(笑)。でも、とことん自分だけのためにと思うと、意外と限られますね。
あなたは何をしたいですか?